先に紹介しておくと、この「URBAN CHERRY」の広告に出演されているモデルを、アリア・W嬢といいます。生粋の西洋人のような顔立ちをしてらっしゃいますが、プロフィールによれば、日本とイギリスとの合いの子らしいです。以下は彼女との出会いについてです。
最近Instagramの広告で、「URBAN CHERRY」という子供向けファッションブランドを知りました。
多分に漏れず小生も、広告なんて普段、流し見程度で、すぐにスワイプしてしまう一人です。が、その時の小生は、あろうことか一時停止をして、暫しこれを凝視しました。
ええ、そうです。馬鹿な男が目をとめるものなんて一つ―美少女がいたのです。
可愛らしいモデルが映っていたというだけでは、敢えて騒ぎ立てることではありません。そんなものはInstagramを眺めていれば、幾らでも目に入ってきます。
この広告が―「URBAN CHERRY」が他と異ったのは、啻にモデルの質だけの問題ではありませんでした。それは、そのモデルの使い方です。
試みに思い出してみていただきたいのだが、大抵のファッションブランドというのは、衣服がハッキリと見えるような、シンプルな立ち姿を写すのが一般的でしょう。
さもなくば、そのブランドの世界観を表現するような、風景やオブジェクトと、一人から三人程度のモデルの、洒落たポーズの写真です。
が、当の「URBAN CHERRY」が何を誇示してきたかといえば、西洋少女の面相です。画面一杯に映った彼女の表情は、仕草は、刹那々々に変じていきます。そのモデル振りが、また天稟のものなのです。それは、確かに熟達した玄人の貫録を誇りながらも、しかし、そこには子供らしい愛らしさが併存していました。
この動画広告の何が素晴らしいか。彼女の美については言うまでもないが、敢えて言わねば気が済まない。西洋人に特有のシッカリした目鼻立ち―特にその大きく且つ丸く整った瞳は、小生に天使の実在を確信させました。
そう、喩えばそれは、ジョン・エヴァレット・ミレー氏の描くファンシーピクチャーの中に居るような、この世のものと思えない美少女です。時に、そのミレー氏は、人格形成前の少女の、微妙で静かな表情に完璧な美を求めました。が、この大モデルは、既に妖婦にも劣らぬ、成熟した、ある種挑発的でさえある、確たる自信に満ちた蠱惑の表情を体得しています。
然てミレー氏は、この少女を少女ならずと評するでしょうか。しかし小生は、この“少女”の弁護者として、あるいは一人のニンフォレプトとして、彼女の中に幼さを見出したことを表明します。その表情が、どんなに我々を惑わそうとも、その中にある、まだ覚束ない筋の纔の働きを見逃しません。顔つきこそ完成された彼女ですが、その細い四肢や、華奢な肩は、彼女が未だ幼少であることを、何より雄弁に語ります。そうです、彼女の中には、少女と淑女とが、幼少と成熟とが、最も美しい均衡を保ちながら併存しているのです。
言うまでもない評論に随分と紙幅を取りましたが、改めて彼女の美を引き出す諸要素について賛美の言葉を述べたい。まず、その仰俯角と云い目線と云い、写真師の技巧である。それが、彼女を至高の美しさで表現している。また、それを編集した者の感性が素晴らしい。次々と変転する姿は、実にこの賜物であります。ただでさえ美少女は日暮見ていられるものですが、それを一層飽きさせない映像にしています。そして何より、これを企画した者の決断です。モデルを彼女にし、彼女をこんな風に映し、彼女にこんな恰好や仕草をしてもらおう、と、考え付いたその人がまず偉い。
こういった人々の腕によって、彼の国宝にも似た映像が我々の前に現れたのです。彼らはこの精巧な利器を我々に突き付けたのです。そうなれば、小生の目が一瞬間にして奪われたのも無理はありません。
視覚ばかりではありません。少女の映像は、芳烈な酒の毒のように小生の脳髄を撃ち抜いた後、全神経を支配しました。そうなれば、あとは全て反射です。気が付けば、小生は過去の投稿を只管にあさっていました。無論、既にその頃には、浮かび上がった”フォロー中”の印が、一少女をして完膚なきまでに屈服せしめられた無様な男の相貌を、憐れむように見つめています。此れが、小生がアリア・W嬢の奴隷となったきっかけです。
コメント